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天 照 皇 大 神 社
てんしょうこうたいじんじゃ
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・奈良県桜井市小夫嵩方440
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御祭神 《主》天照皇大神
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天照皇大神社は、桜井市大字小夫嵩方小字山ノ神に鎮座し、
祭神は天照皇大神、配祀神大山祗神を祀る。社伝に、
天照皇大神宮鎮座は、小夫天神社に座、天照皇大神宮の御分靈を
遷し奉りしと伝う。小夫嵩方分離は元享年間の頃といい伝う。
天照皇大神社御由緒調査書、明治三十九年八月調によると、
元享元年(元享年間は4)より明治39年まで
604年を経るとある。当社の境内に杉一丈七尺廻りの
大木あるを以て按に300年以後の神社たる事明らかなり
と記録されている。
小夫嵩方は、真平山脈の頂上にあたる地勢により嵩方といい、
大和川の源で美わしい山紫水明の地である。
古代倭における磯城から山辺の境界線上にあたり、
大倭郷と呼ばれた高天原の聖地で、
天照皇大神社の敷地山ノ神につづく笠神は、倭笠縫邑の聖地にして
小夫の笠神と並び元伊勢縁の地である。天照皇大神の鎮まる古代の
小夫地方は元伊勢の発祥地であり、御山と称せられし奥の鎮は中岳と
並ぶ神山で、巨岩があり近隣の割石神社とは古代の磐座である。
神の郷の故地として倭、大和の発祥地であることから
近郷にはない社名であり、神聖なる地形から天照皇大神社として
奉斎されし所以である。往時の神の郷は磯城峡谷の隠国
とも称されてきた。泊瀬川を逆り峠を越え小夫より
寝地蔵、奥の鎮、笠神、割石、真平山、中岳、貝ヶ平山に通じ、
山岳信仰、太陽と水神の信仰盛んなりし跡がうかがえるのである。
貝ヶ平山、真平山は大倭郷の線上に位置し、太陽神影向の山、
日の出の山と称されてきた。真平山脈より出づる細流は
清き流れの渓流となり、万葉の昔は聖なる山の聖水の流れで
神の河日の河と呼ばれた泊瀬川は、大和川となって
豊富な水資源は潅漑用水として、水穂国として農業に
大きな役割を果し、農林産物の宝庫となった。
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お参りした時に地元のおば~さんから上の水の御話をお聞きしました。
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